あとりえSienaの書庫部屋

趣味のイラストと通院の体験を綴るブログです

能登半島地震に遭遇した話

新年最初の更新になります。本年もあとりえSienaをよろしくお願いします。

年末年始は12/30~1/5と長めに夫の実家の富山帰省(高岡市)をしており、元旦に起きた能登半島地震で被災しました。滞在中はTwitterにて色々つぶやいております。

今回またも大地震を経験し怖かったですが、高齢のご両親のサポートも出来て東京ではなく富山帰省で良かったと思っております。忘れないうちにブログに体験談を残します。

私は東京で東日本大震災震度5弱を経験し5時間徒歩で帰宅して余震に怯えた日々をすごしたことがあります。今回の大地震はそれを色濃く思い出させ、あのトラウマ級の何度も鳴る緊急アラート音は今でも聞くたびに体が緊張状態になります。

新潟中越地震でも震度4に遭遇してますし、2001年の台風で日帰りで来た軽井沢で電車が止まりTVのない環境で数日過ごした経験もあります(この日から県外またぐ際は携帯充電器を持つようになりました)

これほど人生で震度4~5の揺れを何度も経験するとは…全く。

実は昨年のGW帰省時にも能登震度6地震氷見市で経験していて、店内一斉にスマホのアラート音が鳴り食事中のテーブル下に潜りました。その晩も余震でアラートが鳴り恐怖でした。

震度7の本震が来た

30日に帰省をし私は最近購入したベルセレージュという洗剤の効果を見たくて、大晦日からずっと掃除をしていました。遠方なのでここぞとばかりに普段なかなかできないレンジフードやガラスもきれいピカピカに拭き掃除。見たい番組も特になく静かな年末を過ごしたくてTVはスイカゲームしかやっていない感じです。

元旦の午前中も掃除していて、午後はゆったり家族とこたつで過ごしていた時に急に緊急地震アラートが鳴り能登半島地震が起きました。

最初の震度5のアラートでびっくりした私は近くの娘を揺れが落ち着くまで抱き寄せ、「大きい地震だったね」と言った4分後にまさかの震度7の本震。私はたまらず靴下のまま外に飛び出しました。家の前に止めてある2台の車はゆらゆらしており、手をついた地面全体からグラグラと大きく揺れてその場から動けない状態でした。しかも揺れがやたら長い。体験したことがない大きな揺れ、家が壊れるかもしれない恐怖を感じました。

揺れが落ち着き家の中に戻ってから程なく再度震度5が起き再び外へ。

その時向かいの家のおばちゃんも外に出てきてお互いに「大きな地震ですね」「こんな大きな地震経験したことない」「どこが震源地ですかね」と震えながら話しました。向かいの家にはブロック塀があり、昨年の地震以降人がケガしないよう新しく作りなおされたそうで全く壊れてませんでした。

夫の実家周辺は米どころなので、家・畑・畑・家という地理で隣の家と距離があります。都市部のように隣接していないので人でごったかえすこともないし建物がドミノ倒しにもならないです。

3度目の地震が収まってから、家の中の被害を確認し余震で倒れてきそうなものはすべて移動。自宅二階は細かいものやお父さんの大きな書道の作品が倒れておりました。

天井まで建てつけてあった食器棚も食器がぎちぎちに入っていたのに、幸い中身は飛び出しておらずガラスコップが1個割れただけでした。鍋を収納していた100均の重ねた棚が1つ壊れていて、置いてあった鍋類もすべて段ボールや別室に移しました。ガス・水道・電気もすべて使えていたことがどんなにありがたかったことか。

地震当日はずっとTVのニュースをつけていて震度3~4の余震が40分置きくらい起きてほとんど眠れませんでした。幸い娘は夜中の余震も気づかずぐっすり寝ていたようです。

地震の翌日以降

翌日の1/2、何事もなければ輪島観光に行く予定でおりました。ニュースを見ると夜が明けた能登エリアの惨状、隣の氷見市の全断水と道路の陥没隆起、そして志賀原発のことに驚きました。北陸新幹線金沢駅構内、小矢部アウトレットやイオン高岡の地震発生時の映像も見てものすごい館内も揺れたんだなと。隣の民家では二階にあったらしきタンスをいくつも外に運び出しておりました。

私たちは実家の自宅の被害箇所をチェックして写真に収めました。木造部分の砂壁が数か所崩れ、廊下の一部にスキマができていて増築した鉄筋部分は木の天井に二か所切れ目、外の犬走と壁数か所に亀裂が入ってました。

余震が続く中、車でスーパーの大阪屋へ。年始と重なったのもあり特にすぐに食べられるパンや弁当・すし類が品薄か売り切れ、そして水が売り切れ状態でした。隣接のスギ薬局は臨時休業しており、100均で滑り止めシートを買いコンビニも寄りましたが水だけありませんでした。自販機も売り切れです。

帰宅後すぐに食器棚とTVの下にシートを設置、シートが足りなくなって翌日ニトリで追加購入(ニトリの方がしっかりしてます)。

1/3は天気が雨に変わるようでしたが予報より早く雨が上がり、幸い雪も降っていないから救助活動も進んでるのかと思いきや、政府の対応の遅さには本当に呆れて正直はらわたが煮えくりたっております。この日は大きな余震は少し落ち着いていて、ドラッグストアでケースの水が個数制限で購入できるようになっておりました。飛騨の水と書かれていたので岐阜から来たのだと思います。念のため1ケース購入し玄関に備蓄。気分転換に高倉町珈琲店に入ったら結構お客さんが談笑していたのを覚えています。

冬季の北陸は寒く、余震は怖かったけれど夕方に日帰り入浴施設「かの苑」へ行って温まってきました。ここは年中無休で温泉が利用でき大変ありがたいところです。

1/4にアルビス(娘お気に入りのスーパー)へ行ったら水が売ってました。まだ余震が続く中、明日には高岡を発たねばなりません。滞在中はどこも観光する気も起らず、ほぼTVやネットで情報収集をしながら地元におりました。そういえば疲れて糖分不足だったのが普段は食べないポッキーを3箱食べてました。

自分にできること、感じたこと

元旦に襲った大地震、揺れている最中は何もできませんでした。実家も築40年以上の家屋。大きな余震が続けば危険です。滞在中は被害状況の写真撮りと掃除、滑り止めシート対策しかできませんでした。

輪島や和倉温泉は以前行ったことがあって、このような惨状に見舞われたことが悲しいです。私は東日本大震災後に秋保、新潟中越地震後に越後湯沢を復興応援で再来しています。現地に行って実際にお金を使うことで力になれると思っているからです。今年は北陸新幹線も延線します。我が家は次回GWに富山帰省をする予定です。

TVの情報では志賀原発の危険な状態だったことは取り上げられてませんでしたね。不都合なことは隠す…東日本大震災のニュースと同じ。そして政府の対応の遅さといったら言葉が出ない。雪が降る前にもっと迅速に対応していたら救えた命あったでしょう?海外メディアのニュースがとても分かりやすいと感じました。

水は回転備蓄していましたが今回の経験を踏まえ、携帯トイレも備蓄しました。